大多喜町 西畑歳時記

1月(睦月)

五日・六日 茅刈り

茅刈りは、押沼と笛倉の一部の家を合わせて三十四戸の共同作業であった。その年、母屋の屋根替えをする家があると母屋の場合は五日六日の二日、畜舎の時は五日の一日を主人達が茅刈りに出役する。当日は夜も明けやらぬ朝早くから、弁当や茅刈り鎌、砥石を持参で茅山に集合する。この日は必ず出役しなければならないことになっていた。どうしても出られない場合は代わりの者を出さなければならなかった。全員が揃うまでは茅や粗朶を燃やして暖をとり、また、この間に持参の鎌を研ぐ。

全員が揃うと、宿世話人の号令で、一斉に刈り始める。この茅を刈るのはなかなか熟練を要するもので、山の急斜面に足を踏ん張り、茅を左脇に抱え円を描くように刈るのがコツで、また、なるべく茅の元の方のシブを一緒に刈りこまないと刈った茅がバラバラになり、まとめられなくなってしまうのである。初めて茅刈りに出たときは、他の人についていけず、泣きたいほど辛い思いをした。九時頃になると、役員の号令で休憩となる。この時のおやつは昔から決まっていて、必ず蒸かした薩摩芋であった。十一時頃になると昼食になる。味噌汁作りは、親類や隣家の主婦達が応援に来て、臨時の窯に大きな釜をかけ、すぐ傍のため池の水を汲んで、大根、里芋、人参等の野菜に生鰯等のだしをたくさん入れ、二時間あまりとっぷりと煮込んだもので、空腹には特別美味しく感じ、馬鹿の三杯汁と言うが、皆三杯、四杯とお代わりをいただいた。茅を刈る場所は決っていて、その場所が終ると時間に拘わらずその日の作業は終わる。大体三時頃には予定の分が終り、そして、もう一日同じ作業を行った。

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つか坊と姉ちゃん