大多喜町 西畑歳時記5月

皐月

お茶作り

当時は自家用のお茶は全部自分の家で作った。従ってお茶の木はどこの家でも栽培していたが、それもほとんど畑の隅や周囲に作られ纏まった茶畑はなかった。
製茶は各家で臨時の焙炉(ほいろ)をたて、一家の主人が上半身裸になり大汗を流してつくった。又茶摘みは女達にとっては語らいの場でもあった。連日の泥田作業から畑に上がり結いで近所の女達と世間話をすることはニュース交換の場であった。

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つか坊と姉ちゃん