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房総の偉人

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中村伝治と『品の川水路』

大多喜町の昔ばなし

1
老川小学校下の道路わきに『水路(すいろ)の碑(ひ)』が建っている。碑にはこんな話が伝えられている。
老川(おいかわ)地区の小田代(こただい)あたりは、養老川(ようろうがわ)が深い深い谷をつくって流れている。そのため川から水を汲み上げることは困難(こんなん)をきわめた。 溜池(ためいけ)をつくり雨水をためて農業に使っていたので、雨の少ない年はなおさらであった。
そこで中村太左衛門(なかむらたざえもん)は土地の高低差を考え、会所(かいしょ)地区から小田代地区へ用水路を引くことを考えた。 しかし建設技術や費用を考えると、なかなか工事に着手できなかった。時間だけが過ぎ、やがて太左衛門は病で亡くなった。

2
明治十年(一八七七)六月、アジサイの美しい季節であった。中村伝治(なかむらでんじ)は祖父太左衛門の遺志(いし)をつぎ、工事にとりかかった。 会所から小田代まで約六千メートルの水路を建設する大工事である。
「これで水に困らなくなるぞ」
「米や野菜もたくさん穫れる」
「寄付を集め、協力しよう」
みんな、喜んで水路建設に協力した。
しかし、険しい山、深い谷が工事をおくらせた。おまけに疲労が重なってケガをする者が出てきた。すると、
「こんなことなら水路なんかいらない」
「ケガをしたら、もともこうもねえ、やめた、やめた」
「工事に協力できねえ」
困難な工事に、一人また一人とやめていった。工事は長引き資金も底をついた。
やがて発起人(ほっきにん)や世話人までもが手をひき、伝治一人となった。しかし、伝治はあきらめなかった。田畑を売って資金を作り、工事を続けた。
一年がまたたく間に過ぎ、またあじさいの季節になった。村人たちは伝治のひたむきな姿に心をうたれ、また伝治に協力しはじめた。

3
明治十一年十月に水路は完成した。粟叉(あわまた)・小沢又(こざわまた)・面白(おもじろ)・小田代(こただい)の耕地約十八ヘクタールは、雨の少ない年でも豊かな実りをもたらす耕地に生まれ変わった。
明治四十五年、伝治の功績を讃える碑が建立され、後世に偉業を伝えている。
用水路は今なお『品(しな)の川用水路(かわようすいろ)』と呼ばれ、耕地に水を運んでいる。

おしまい
(齊藤 弥四郎 著)

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