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戦(いくさ)の話

戦(いくさ)の話

十市姫と限りの山(筒森神社)

大多喜町の昔ばなし

市原(いちはら)市、君津(きみつ)市、大多喜町との境は山深い所です。ここ大多喜町、筒森(つつもり)という地区があり「筒森(つつもり)神社」とよばれている神社があります。大木にかこまれてひっそりとしています。この神社におまいりすると、赤ちゃんを産むのがかるくてすむといわれています。それは、こんなお話によります。

1
むかし、むかし、今から千三百年ほどむかしのお話です。近江(おうみ)(滋賀県)にあった大津(おおつ)の都では天智天皇(てんちてんのう)がなくなり、その子大友皇子(おおとものおうじ)が弘文天皇(こうぶんてんのう)となりました。しかし、弘文天皇(こうぶんてんのう)のおじにあたる大海人皇子(おおあまのおうじ)(後の天武天皇(てんむてんのう))が不満をもっていて、争いをおこしました。この争いを「壬申(じんしん)の乱」といいます。歴史の本では、やぶれた弘文天皇(こうぶんてんのう)は琵琶湖の近くで自害されたことになっています。しかし実際は、ひそかに大津(おおつ)の都をのがれ、この上総(かずさ)の地におちのびてきたといわれています。
弘文天皇(こうぶんてんのう)の一軍は相模国(さがみのくに)から上総(かずさ)国木更津ににげてくると、小櫃川にそって山中ににげのびようとしていました。おいかける大海人皇子(おおあまのおうじ)の軍も
「生かしておいてはならぬ」
「みな殺しにしてしまえ」
と必死になっておいかけます。ちょうど、現在のJR久留里(くるり)線小櫃(おびつ)駅近くにさしかかったときです。追っ手においつかれてしまいました。弘文天皇(こうぶんてんのう)は戦陣をはって、ここで戦うことにしました。そして、十市姫(といちひめ)にいいました。
「わしはこの地で戦うが、そなたは生きのびてくれ」
「いや、わたしは最後(さいご)まで、あなたさまとごいっしょいたします」
「ならぬ、そなたは私のこどもを身ごもっているではないか。どうか、生きのびて、じょうぶなこどもを生み育ててくれ」
「・・・・わたしは、あなたとごいっしょいたします」
「ききわけのない。ならぬといったらならぬ」
「・・・・・」
「おとものものをつかわす。どうか、にげてのびて、じょうぶな子をうんでくれ。姫、たのむ」
「・・・は、はい。それほどまでにおっしゃるなら・・・」
十市姫(といちひめ)は、なくなく弘文天皇(こうぶんてんのう)とわかれ、さらに深い深い山にわけいって行きました。

2
深い山です。道といってもシカやイノシシがとおるケモノ道です。きりたったがけっぷちを木の枝にしがみついてのぼり、橋のない小川をわたり、それはそれはたいへんな道でした。亀山から蔵玉をとおって大多喜で一番高い山、石尊山のふもとにたどりついたときです。ずっと歩きつづけです。足をとめて、高い山々をしばらくみあげていました。やがて十市姫(といちひめ)のほほをなみだがつたわっていました。

わがために
憂きこと見えば世の中に
今は限(かぎ)りの山に入りなむ

「わたしのために、このようなつらく悲しいことが世の中にあるのですね。今はもう、この世とわかれて、ふかい山に入ってしまいましょう」
と、歌をおよみになられました。
衣もどろと汗でよごれ、わらじのひもは切れ、足は血まみれでした。ややしばらく休まれた後、歩きはじめようとしました。
「うう・・・。いたい。おなかが、いたい」
「ううう・・・ううう・・・」
「ああ、生まれる。生まれる。赤ちゃんが」
十市姫(といちひめ)はおなかをおさえて、その場にうずくまってしまわれました。ずっと歩きつづけです。それも都そだちのお姫さまです。敵におわれ、ずっとにげつづけてきたです。すっかり体は弱っていました。もう一歩も歩けません。 おともの人たちもこまりました。それで、山深いこの地に草ぶきの家をつくって赤ちゃんをうむことにしました。
「姫がんばってくだされ」
「じょうぶな赤ちゃんを生んでくだされ」
「弘文天皇(こうぶんてんのう)さまもやがてむかえにきてくださいます」
「かならずや、ふたたび大津(おおつ)の都へかえれる日がやってきます」
おとものはげましによって、やっと赤ちゃんをうみました。しかし、かなしいことに、すぐに赤ちゃんはなくなってしましました。みな、なげき悲しみました。
悲しみと、体のつかれで十市姫(といちひめ)も赤ちゃんのあとをおうように、そまつな草ぶきの家で息をひきとってしまいました。

3
その日は九月十九日、月のとおてもきれいな夜でありました。
その後、里の人たちは十市姫(といちひめ)をあわれにおもって、なきがらをていねいにとむらいました。それが、筒森(つつもり)神社です。こんなわけで、筒森(つつもり)神社は安産の神様として人々に信仰されてきました。
また、十市姫(といちひめ)がよんだ

わがために
憂(う)きこと見えば世の中に
今は限(かぎ)りの山へ入りなん

という和歌の「限(かぎ)りの山」にちなんで、ここから見える山を「かぎりの山」とよぶようになりました。
小櫃(おびつ)川にとどまって戦った弘文天皇(こうぶんてんのう)も、大軍のまえにやぶれてしまいました。それで腹を切って自殺してしまいました。それで川を「おはら(御腹)川」とよぶようになったそうです。
また大多喜町には「弘文洞(こうぶんどう)」という景勝地がありますが、弘文天皇(こうぶんてんのう)の伝説に由来しているのかもしれません。

おしまい
(齊藤 弥四郎 著)

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