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房総の偉人

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平司洞門

御宿町の昔ばなし

御宿町に『須賀(すか)』という地名がございます。後ろは山が連なり、前は海岸まで続いています。海岸の方は平坦な土地で農作業も容易にできましたが、山の方は谷が多く不便と困難をともなっていました。
この話しは、むかしむかし、と言っても今からおよそ七十年ほど前の須賀のお話しです。

1
少しでも多くの米の収穫を願って、山と山のわずかな平地も開墾されて田が作られました。田は水が命です。雨の多い年はいいのですが、少ない年はすぐに日照りになって谷間の田は枯れてしまいました。こんな状況を見続けてきた神定平司は、用水路を作って山の溜池から水を引くことを考えていました。連なる山をくりぬき、田まで水路を作るのです。平司はこの考えを周りの人々に説いてまわりました。
「谷あいの田んぼまで水を引けば、雨の少ない年でも稲はかれません。毎年豊かに稲が実ります。みんなで水路を作りましょう。みんなが力を合わせれば、簡単なことです。」
水路のできることはみんな望んでいましたが、山を掘り水路を作ろうという者はいませんでした。しかたなく一人で山を掘る決心をしました。溜池から谷あいの水田までの地形を調べ、地図に用水路をかきました。そうして翌日から、クワとツルハシ、モッコを持って山にでかけました。雨の日も風の日も続けました。こんな平司を見て
「あんやろうは、かわったやろうだ・・・ 」
「いつになったらできるやら、頭がおかしくなったのでは・・・」
と、ちょう笑し、変り者あつかいする人もいました。しかし、平司は(今にみていろ、必ずみんなをアッと言わせてみせる。)と、黙々と掘り続けました。
そうしてついに半年を費やして、一二0メートルの地下水道を造りあげました。それ以来、谷間の水田は日照りの年も枯れることなく、秋になると稲穂はたわわになるほどたくさん実をつけました。

2
また、浜から山間部の実谷地区に行くのには、峠をこえなければならず不便をしいられていました。農作物を運ぶのも、木材を運ぶのにも人の背を頼り、この峠をこえなければなりませんでした。この峠の下にトンネルができたら、楽に荷を運ぶことができます。時間もずっと短くてすみます。平司は山を掘りぬいてトンネルをつくろうと考えました。しかし、今度の仕事は人や馬の通れるようなトンネルづくりです。半年や一年で終わる仕事ではありません。それを思うと、なかなか実行にうつせませんでした。焦るのですが
年月だけが空しく過ぎていきます。周りの人達に相談しましたが、
「山をくりぬくのだぞ、それもあのように大きな山を。」
「用水路のようなわけにはいかねえぞ」
と、反対されました。
周りのみんなを頼っていたのではだめだ、とにかく掘ってみよう、と昭和六年、山の岩壁にいどみました。一人で黙々と掘り続けました。その姿はさながら江戸時代の禅海の『青の洞門』を連想させました。これを見た時の町長さんは
「これほどまでに執念を燃やしているのか。町民のことをこんなにも考えてくれるのか。」
と、感動しました。そこで、陸軍の工兵隊に応援出動を求めました。
そうして、ついに昭和九年、三年五か月の月日を費やして完成しました。このトンネルのおかげで、山と海との交流が容易になりました。人々は長くこのトンネルを『平司洞門』と呼び、感謝してきました。
しかし、夷隅開発建設事業の造成工事のために「平司洞門」は姿を消してしまいました。かわりに平司の業績を後世に伝えるため洞門の跡に碑が建てられています。

おしまい
(齊藤 弥四郎 著)

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