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房総の史実

房総の史実

平和の鐘

いすみ市の昔ばなし

私は『平和の鐘』。
私が大原公園にいるのはわけがあるんだ。私は昔、上寄瀬にあったんだ。太平洋戦争中に軍用物資製造用原料として供出されてしまったんだ。
「ああ、溶かされたくないなあ。私は溶かされたら何になるのかなあ?戦闘機になるのかなあ。それとも大砲になっちゃうのかなあ。ああー、どうしよう。でも、日本のためになるんだったら、いいのかなあ」
でも、奇跡的に戦争が終わったんだ。私は一九四六年、アメリカ軍の手によってアメリカ合衆国に渡ったんだ。
「えっ、アメリカに行っちゃうの?何で?どうして?私は日本にいたいよう」
でも、私の願いはかなわぬまま持って行かれてしまったんだ。それで、アメリカミネソタ州のダラース市の市長室にかざられていたんだ。
でも一九五一年に千葉大学園芸学部長武田慶治氏がアメリカ合衆国視察中にダルース市長室にある私を見つけ、どうしてここにあるのかダルース市長に由来を聞いたんだ。
「この鐘はどこから持ってきたのですか?以前大原町にあった鐘によく似ているので・」
「そうです。大原町にあったものです」
「やっぱりそうなんですか。これは晩鐘と言って、町の人々がとても大切にしていたものです」
「そうですか。そんな大切なものだったのですか?戦争も終わったことだし、お返ししましょう」
「私は日本に帰れると聞いたときにはとってもうれしかったよ。やっと、ふるさと大原町に帰れる。待ち遠しいなあー。毎日わくわくしていたんだ」
当時の大原町長の土屋幸正さんによって『日本親善平和の鐘』と私は名付けられたんだ。私が大原の港に着いたとき、みんな港に迎えに来てくれたんだ。大原公園まで私を運ぶときには二万人もの人々が協力してくれて、とてもうれしかったと。それで今、大原公園にいるんだ。私『平和の鐘』が縁を結び、大原町とダラース市が姉妹都市になったんだ。ダルース市長ジョン・フェート氏は二人目の大原町名誉町民となったんだ。ジョン・フェート氏には、私を日本に帰してくれたからとてもとても感謝しているよ」
ちなみにダルース市はアメリカ合衆国のミネソタ州に位置し、人口約九万人の都市で、有名な五大湖のひとつスペリオル湖の西端、北緯四十七度、西経九十二度にあって日本の北海道とほぼ同じ緯度にあるんだ。
私『平和の鐘』が縁を結んで大原町とダルース市が姉妹都市になったんだ。
「ああ、よかった」
と思いながら今私『平和な鐘』は大原公園の高台からいつも大原町を見守っているんだ。

おしまい
(齊藤 弥四郎 編纂)

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つか坊と姉ちゃん