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戦(いくさ)の話

戦(いくさ)の話

かがみが谷

いすみ市の昔ばなし

大原町新田、ひっそりとした山間に「かがみが谷」と、よばれているところがある。なぜ、「かがみが谷」とよばれるようになったかというと、こんな話が語り伝えられている。

1
むかしむかしのことだ。むかしむかしといっても、いまから約四00年ほど前のことである。大原町のとなり夷隅(いすみ)町の山のいただきには、城がそびえていた。城の名は万木(まんぎ)城とよばれていた。
土岐(とき)為頼(ためより)、頼元(よりもと)、頼春(よりはる)と三代にわたってさかえた。三代の城主は、となりの大多喜城主と、いくどとなく、いくさをくりかえしていた。
ちょうど、三代城主土岐(とき)頼春(よりはる)の時代であった。大多喜城主となった本多忠勝(ほんだただかつ)は万木(まんぎ)城をせめた。万木(まんぎ)城は山城として難攻不落(なんこうふらく)の城といわれていた。いくどもせめられたが、いつの時代もせめおとされることはなかった。
しかし、いくさの名将、本多忠勝(ほんだただかつ)の手にかかると難攻不落(なんこうふらく)といわれてきた万木(まんぎ)城も火がはなされ、落城しかけていた。

2
「殿、もはやこれまで」
「いそいで、城をぬけだしましょう・・・」
「女、こどもをまずにがしてやってくれ」
「妻、カメ女はふるさとの家にひとまずにげてくれ」
「われらは、かならずや生きのびて、城をとりもどしに・・・」
頼春(よりはる)は、女、こどもの命を第一にかんがえ、もえる城からまず、女、こどもをにがすことをめいれいした。しかし、妻カメ女はいった。
「わたしは命などおしくありません。わたしは戦国武将(せんごくぶしょう)の妻、夫と城とともにはてます」
よろいをみにつけた頼春(よりはる)は、妻のカメ女に
「よくぞもうしてくれた。わしはうれしいぞよ。しかしカメ女、今回はいきのびてくれ。ひとまず生家ににげてくれ。いつの日か、かならずやむかえ行くから」
と、うったえた。
頼春(よりはる)のうったえに、カメ女はおさないむすこ軍次郎(ぐんじろう)の手をとって、城をぬけだした。城のあちこちで火の手があがる。武将たちの声、弓矢が風をきる音、にげまどう人の声、おびえていななく馬の悲鳴・・・。武将たちのよろいの金属音。あたりは、そうぜんとしている。
カメ女は息子(むすこ)軍次郎とともに城をぬけ、うら手のけもの道を一気にかけおりた。軍次郎(ぐんじろう)が木に足をとられてころぶ。つないでいた手がはなれる。錦糸(きんし)をふんだんにおりこんだ、美しい着物は、すぐによごれた。走る。つないでいた手がはなれる。
「軍次郎(ぐんじろう)、軍次郎(ぐんじろう)。」
カメ女が声をころしてさけぶ。すると
「ははうえさまー、お母上さま、母上さまー・・・」
と、軍次郎(ぐんじろう)が大声でさけぶ。
「軍次郎(ぐんじろう)、大声をだしてはいけません。敵(てき)に気づかれてしまいます」
声をたよりに、母と子はまた手をつないで坂をかけおりる。が、またころぶ。そうして、いばしょをたしかめるために、よびあう。こうして、城の坂をかけおり、平地に出た。遠くに、敵(てき)陣(じん)のあかりがみえる。あっちにもこっちにも火をたいている。たいまつを持った武将たちが、隊をなして見はっている。
カメ女と軍次郎(ぐんじろう)はてき地から遠ざかるように、山づたいにすすんで行った。
ひっ死に走った。生まれ故郷、内野郷山崎にむかって走った。

3
気がつくと夜が白々と明けていた。軍次郎(ぐんじろう)はかた足だけわらじをはいて、かた足ははだかである。よごれた足から血がながれている。カメ女は軍次郎(ぐんじろう)の足のよごれをふき、着物をさいて、足のよごれをふいた。さらに着物を帯状にさいて、足をおおってやった。
「痛いでしょう。もう少しでお母さんの生まれた家です」
と、いうと幼い軍次郎(ぐんじろう)はさすが武将の子
「なんのこれしき。軍次郎(ぐんじろう)少しも痛くありません」
と、歯をくいしばっている。
いくさの声は遠のき、夢の中で聞いているようであった。城から遠くはなれたことは、主人頼春(よりはる)からも遠のいたと感じた。カメ女はさけんだ。
「よりはるさまー、頼春(よりはる)さまー・・・」
と、なんどもさけんだ。しかし、さけび声は谷の木々の間にむなしく消えた。
その時だった。遠く見えていた万木(まんぎ)城が大きな火柱をたて、もえ落ちた。
「よりはるさまー、頼春さまー」
カメ女はふりしぼるような声をだすと、その場にしゃがみこんでしまった。軍次郎(ぐんじろう)は
「ははうえさま、母上さまー・・・・」
と、よびかけたが腰をかがめたまま、立ち上がることができなかった。カメ女が立ち上がることのできなかった所がここ新田の谷であった。
そんなわけで、新田のこのあたりを「かがみが谷」とよぶようになった。

ちなみに、カメ女と軍次郎(ぐんじろう)はふるさと内野郷にある鶴岡家に、にげかえることができたという。軍次郎(ぐんじろう)は成人し鶴岡家をつぎ、内野郷の名主となった。そうして新田郷の開発につくしたという。
一方、土岐(とき)頼春(よりはる)は大原小浜海岸から三河(愛知県)に、落ちのびたといわれている。その後、頼春(よりはる)は、妻カメ女、むすこ軍次郎(ぐんじろう)とふたたびあうことはなかった。

おしまい
(齊藤 弥四郎 著)

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