• 楽しい話
  • あたたかい話
  • 悲しい話
  • 怠け者の話
  • 欲ばり者の話
  • 呆れた話
  • 怖い話
  • キツネやムジナの話
  • お化けの話
  • 神様・仏様の話
  • 不思議な話
  • 災いの話
  • 地名の話
  • 戦(いくさ)の話
  • 房総の偉人
  • 房総の史実

地名の話

地名の話

八人塚ものがたり

大多喜町の昔ばなし

大多喜町小沢又に「水月寺(すいげつじ)」というお寺があります。この寺の境内に八人塚(はちにんづか)と書かれた碑がたっています。この碑には悲しい話がかたりつたえられています。

1
むかし、むかしのことです。むかしといっても今から三百年ほどむかしことです。このあたりは、そのころ筒森(つつもり)村とよばれていました。村の境にには養老川(ようろうがわ)の支流、外出川(とでがわ)がながれていて、川の東側は外出村(とでむら)とよばれていました。
二つの村とも、川ぞいにへばるように田畑があるだけで、けわしい山にかこまれた土地でした。そのため村人の生活も猟や炭焼(すみや)きなど山の恵みにたよった生活でした。
外出(とで)川ぞいの筒森(つつもり)側の山のしゃめんは、牛や馬に食わせる草がよくはえ、屋根をふくカヤがたくさんとれました。そのため、この山の斜面は筒森(つつもり)村の人たちが共同で使う山でした。あまりいいカヤや草がとれるので、外出(とで)村の人たちも境界線と知りながら、こっそり入って草やカヤをしっけいしていました。そのため、土地のいさかいがたえませんでした。
とうとう、ある年の春、勝浦の代官所から役人がとりしらべにきました。役人は両方の村のいいぶんを聞くだけでとりしらべをおわらせ、その夜は外出(とで)村の名主の家に宿泊しました。外出(とで)村では名主をはじめ世話役たちが役人をあつくもてなしました。
「遠いところおいでくださり、ありがとうございます」
「これは、今朝とってきたばかりのタケノコです。めしあがってくだせい」「これは、外出(とで)川でとれたあゆでございます」
「・・・・・・」
夕食に酒(さけ)やごちそうでもてなし、美しいとひょうばんの娘たちにきれいな着物をきせてもてなしました。夕食がおわると、こともあろうにピカピカひかる小判をつつんで
「ほんの気持ちです。とっておいてくだされ。明日はよろしくたのみます」といってお役人のたもとにさしこみました。

2
次の日の朝、地図をもって、役人たちは外出(とで)川ぞいの二つの村の山を見てまわりました。代官所の役人のあとには両方の村の名主や村役人がつづきました。山の上までくると役人は両方の名主をみながらいいました。
「検分したので申し上げる。この山は、外出(とで)村のものである。よって外出(とで)村の者たちの出入りはゆるされるが、筒森(つつもり)村の者の立ち入りは今後ならぬ」
「は、はっ、かしこまりましました」
外出(とで)村のものは深々と頭をさげよろこびました。しかし、筒森(つつもり)の人たちのいかりはおさまりません。でも、役人にさからうことはできません。筒森(つつもり)の人たちは歯をかみしめながら、小さな声で
「かしこまりました」
と深く頭をさげました。
検知がおわると、
「きょうは、遠いところおいでいただきありがとうございました」
両方の名主は礼をいって役人をカゴにのせました。カゴをかつぐは、あらそいにまけた筒森(つつもり)村の若者でした。
よいさ、よいさ
えいさ、えいさ
ほいさ、ほいさ
・・・
負けたくやしさをふりはらうかのように大きな声をかけながら、山をおりてゆきました。
若者たちはことばこそかわしませんが、いかりでふるえていました。
(あの、草山はむかしから筒森(つつもり)のものなのに)
(あのカヤ山のカヤをかることができなくなったら、どうすればいいのだろう)
だれもが、役人の決定に不満でなりませんでした。
とうとう若者たちは、いかりをおさえることができなくなりました。外出(とで)川をみおろす「ばばが谷」とよぶ、がけっぷちまできたときでした。役人をのせたカゴを、がけっぷちからほうりなげてしまったのです。カゴは岩にぶつかりながら、小さな木々をなぎたおしていきおいよくがけをころげおちていきました。
「やったあー。ざっまーみろ」
「不正なことをするとこうなるだ」
といいながら、血気さかんな若者たちは村にかえってゆきました。そして
「役人があやまってがけからおちてしまわれた」
とうそをついた。

3
ところが、谷そこにおちて死んだとおもっていた役人はかすりきずだけで助かったのです。さあ、こうなるとたいへんです。九人の若者はなわをかけらて勝浦の代官所におくられました。筒森(つつもり)村の名主をはじめ世話役人たちは「どうか、命だけはたすけてくだされ」
「分別のない若者たちの、できごころです」
「若者の命だけはおたすけを。われら村の長老の責任です。どうかわれわれを身代わりに・・・」
と代官所に若者たちの命ごいにゆきました。しかし、
「ならぬ。帰れ、かえれ」
といって、聞きとどけてもらえませんでした。
こまりはてた名主は、水月寺(すいげつじ)の和尚さんに相談しました。すると和尚は
「・・・聞いてもらえるかどうかわからぬが江戸の領主様におねがいしてみよう。のこされた方法はもうこれしかないでしょう」
と、すぐに江戸にむけて馬をとばしました。
一こくをあらそいます。若者たちが死刑になってはならぬと、江戸についた和尚はすぐに領主さまをたずねて、ことのなりゆきを話しました。領主さまは
「そうか、そうか。それはきのどくに。すぐにゆるし文をつかわそう。そちはつかれているであろうから、このさむらいを使者につかわそう」
と、さむらにゆるし文をたくしました。

4
ゆるし文をたくされたさむらいは、馬を走らせました。茶屋場(ちゃやば)山のふもとにさしかかたときです。ずっと走りつづき、おまけに天気がいいといったらありません。すっかりのどがかわき、どこかに水はないかとさがしていました。
ちょうど、百姓たちがおやつどきでしょう、休んでいました。馬からおりて
「すまぬが水をくださらぬか」
と声をかけました。百姓たちは、さむらいにただの水をさしあげるのは失礼とおもい、のんでいた酒(さけ)を茶わんにいれてさしだしました。ぐいっ、と一気にのみほすと
「すまぬが、もう一杯いただけぬか」
とおかわりをしたのです。このさむらいは、わるいことに大の酒(さけ)ずきでありました。二杯三杯とのんでしまい、やがていい気持ちになってその場にグーグーいびきをかいてねこんでしまいました。
さむらいが目をさましたのは、日が西の山におちたころでした。
「ねこんでしまったか。いそがねばならぬ」
さむらいは、馬をとばして勝浦の代官所にむかいました。さむらいがついた時には、くやしいかな、すでに若者たちはうち首になっていました。さむらいは、酒(さけ)をのんでしまってねこんだことを深く悔いましたが、どうにもなりませんでした。

5
若者のうち首は浜勝浦のおしおき場でおこなわれました。この時、うち首になった若者はみんな口々に
「このうらみは、わすれないぞ。きっとはらしてやるぞ」
と、さけびながら死んでいったそうです。
ふしぎなことはその後です。外出(とで)村に悪い病がはやってきたのです。それで、みんながいうには
「こりゃあ、八人の若者たちのたたりにちがいねえ」
と、うわさするようになりました。また、外出(とで)村にたいして
「外出(とで)村は役人にわいろをおくったそうだ」
と、ひょうばんがたちました。外出(とで)村の名主や役の人たちは
「すまねえことをしてしまった。ゆるしてくだされ」
と、神社やお寺さまを参拝しました。しかし悪い病はいっこうにおとろえませんでした。
そこで、石で観音さまを刻み、像を道ばたにたてて八人の若者の供養をしました。また、人のためになることを、ということで、夏の暑い二十日間、ここを通る人たちに湯茶をだしたそうです。湯茶をだすのは、ついこの間、昭和四十年ころまでおこなわれていたそうです。そんなわけで、この湯茶を接待したところを「茶屋場(ちゃやば)」とよぶようになりました。近くには茶屋場の接待記念碑(ひ)がたっています。外出(とで)村の人たちの刻んだ観音さまは今も茶屋場の道路わきにまつられ、地域の平和と旅人の安全を見守っています。
水月寺(すいげつじ)には八人をとむらう立派な碑(ひ)が昭和三十六年にたてられ、この事件を今に伝えています。

おしまい
(齊藤 弥四郎 著)



茶屋場 接待記念碑 (写真提供:パパゲーノさんのご好意により)
「道にあるちょっと古いもの」茶屋場隧道跡より
http://ameblo.jp/papagenopapagena/entry-12039179395.html#c12756424862

 

タグ : 

つか坊と姉ちゃん