大多喜に泉水という地区があります。この地区の人々は「うなぎを食べない」と言われています。
また、近くの寺には、虚空蔵様がまつられています。
「なぜ、泉水の人はうなぎを食べないのか」それにはこんな話が伝えらえています。
1
むかしむかし、泉水にびんぼうだが働き者の夫婦が、仲むつまじくらしていました。やがて、夫婦のあいだには、かわいい赤ん坊が生まれました。
ある秋の日のことです。二人はようやく、はうようになった赤ん坊をおぶって稲刈に行きました。田んぼのあぜに、赤ん坊を寝かせて、実った稲穂を刈っていました。
秋のすず風にふかれながら、すやすや眠っていた赤ん坊は、目をさましました。
オギャー オギャーと、泣きましたが広い田んぼ、お母さんお父さんまで赤ん坊の声は届きません。
やがて、赤ん坊のそばに、うさぎがやってきました。赤ん坊はうさぎを追ってはいだしました。うさぎは赤ん坊が近づいて来るのを待っています。赤ん坊がうさぎに近づくと
ピョンピョン ピョンピョン、先に行きました。赤ん坊はあぜ道をこえて、草むらをこえて土手におりて、うさぎのあとについて行きました。
そうこうしているうちに、赤ん坊は川に落ちてしまいました。
オギャー オギャー赤ん坊は泣きながら流されて行きました。その時です。このあたりでは見かけない男の子が川にとびこみ、赤ん坊をすくいあげました。
2
お昼になりました。夫婦はお乳を飲ませようと、赤ん坊を寝かせたあぜ道にもどってきました。
「赤ん坊が・・・。赤ん坊がいない」
「赤ん坊がいない」
二人は、生きた心地もなく、あわててあたりをさがしました。田んぼや草むら、土手や川岸、なんども行ったり来たりしました。しかし、見つかりません。
大声を出して行ったり来たりする夫婦を見て、近くのお百姓さんたちも一緒になってさがしました。
夕日が西にかたむき、一日が終わろうとしているのに、赤ん坊はみつかりませんでした。
「いったい、どうしたことだろう」
「神かくしにでもあったのだろうか?」
かたを落とし、とぼとぼ家路につきました。
ちょうど寺までくると、山門から
オギャー オギャーと、赤ん坊の泣き声がするではありませんか。夫婦は、山門を見ると、とびあがるほどびっくりしました。ビショビショにぬれた虚空蔵様。その足下には赤ん坊がいるではありませんか。
「虚空蔵様が赤ん坊を助けてくださったのだ」
ビショビショにぬれた虚空蔵様の脚にはうなぎがいっぱいついていました。
「ああ、川のうなぎも一緒に助けてくれたのだ」
お百姓夫婦は虚空蔵様とうなぎに、なんどもなんども頭をさげてお礼を言いました。
それからというもの、ここ泉水の人たちは
「うなぎは命の恩人だ」
「うなぎは神様だ」
と言って、だれ一人うなぎを食べなくなりました。その教えは今日までうけつがれ、今でも泉水の人たちはうなぎを食べません。
また、虚空蔵様は今も泉水のお寺にまつられています。
おしまい
(齊藤 弥四郎 著)