• 楽しい話
  • あたたかい話
  • 悲しい話
  • 怠け者の話
  • 欲ばり者の話
  • 呆れた話
  • 怖い話
  • キツネやムジナの話
  • お化けの話
  • 神様・仏様の話
  • 不思議な話
  • 災いの話
  • 地名の話
  • 戦(いくさ)の話
  • 房総の偉人
  • 房総の史実

房総の偉人

房総の偉人

親孝行な竹永志保

御宿町の昔ばなし

御宿町上布施に、浅間様を祭った神社があります。国道からせまい山道を登って行くと、石碑の建つ小さな広場に出ます。この石碑に、こんな話がいい伝えられています。

1
今から約二百年ほど昔のことです。布施村のまずしい百姓家に、志保という親孝行な娘がおりました。まずしいながらも幸せな生活を送っていましたが、一番の働き手であった父がとつぜん亡くなり、苦しい生活をしいられるようになりました。
志保は美しく心やさしい娘でしたので、お嫁さんにもらいたいという話がいっぱいありました。しかし、年老いた母を一人残して嫁に行く気にはなれず、おむこさんをとると心にきめていました。
志保がちょうど二十歳のとき、となり村からおむこさんをむかえて結婚しました。おむこさんはたいへん働きもので、一家三人とても幸せな生活がつづきました。
ところが、この幸せな生活も長くつづかず、志保二十九歳のとき働き者の夫がとつぜん病死してしまいました。残された志保と母は、また貧しい生活をしいられました。
夫をなくした志保のところには
「まだ若いのだから再婚したほうがいいよ。お母さんも喜ぶにちがいない・・・」
「となり村に働き者がいるけど・・・」
「年とったお母さんのめんどうをみるのにも働き手の男がいたほうが」
と、次から次へと再婚の話がまいこみました。しかし、志保は心のなかで(貞婦は二夫にまみえず)と、
「お気づかいはありがたいですが、私はもう結婚しません」
と、いって、ことわりました。

2
女手ひとつで一家をささえなければならなくなった志保は、夏の暑い日も冬の寒い日も働きにでかけました。
一方、母は年とともにもうろくしはじめました。
「わしは、きょうはそうめんが食べたい」
「きょうは、魚を食べたい」
と、わがままをいうようになり志保をこまらせました。志保は一里ほどはなれた町にでかけて行って、母の好物を買ってきて食卓にならべました。
母のわがままは、どんどんつのってきました。そのうちに
「母さんは昼間ひとりぼっちでさみしい。せめて夜だけでもいっしょに話をしてくれないか」
と、いいます。昼間働いてつかれていましたが、眠いのをがまんして母の話をひとつひとつうなずきながら聞く志保でした。

3
ある冬の夜でした。母はかぜをひいて寝たきりの日が続きました。
そんなある日
「ウナギを食べたいなあ」
突然いいだしました。冬なのでウナギは手にはいりません。
「お母さん、今は冬だ。ウナギなんてとれねえ・・・」
と、いうと
「なにいうだ。今は夏でねえか・・・。冬だなんて、志保はうそをつくのか」すっかりぼけてしまったお母さんです。
志保は、ぼけてしまい寝たきりの母にウナギを食べさせたいと思うのでした。あれこれ考えましたが、この寒い冬にウナギが手にはいるわけがありません。
そこで、近くの真常寺の観音様にお願いに行きました。
「母がウナギを食べたいといいます。どうかウナギを・・・」
と、祈りました。すると不思議なことに
「志保、おまえはなかなか親孝行だ。おまえの願いをかなえてやろう」
観音様の声が聞こえたかと思うと、突然、二匹のウナギが志保の前にあらわれたのです。
「ありがとうございます。ありがとうございます・・・」
志保がなんども頭をさげると
「これからも親孝行をするのじゃぞ」
観音様の声がしました。
志保はよろこんでウナギを持ち帰って料理をしました。母は
「おいしい、おいしい。こんなおいしいウナギははじめてだ」
と喜びました。
やがて、志保の親孝行のうわさは領主の耳にはいり「世の女性のかがみである」と、たくさんのごほうびをくださいました。石碑によると、志保は天保四年(一八三三)七十七歳でなくなりました。

おしまい
(齊藤 弥四郎 著)

タグ : 

つか坊と姉ちゃん