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房総の偉人

房総の偉人

五倫黌物語

大多喜町の昔ばなし

御宿小学校の校門を入った右手に木立に囲まれた一角が
ある。柵(さく)に囲まれて銅像が建つ。台座に「伊藤鬼一郎先生像」と記されている。

伊藤鬼一郎とはどんな人物だったのだろう。碑文(ひぶん)による・伊藤鬼一郎 銅像
と御宿小学校の校長であったという。御宿小学校でどんな教育をされた校長先生なのだろう。
伊藤鬼一郎先生についてこんな話が伝えられている。

台風の予感
明治三十五年(一九〇二)九月二十七日、午後から風が吹き小雨が降りだした。「南風だ、嵐になりそうだな」網代湾の漁師たちは船をひきあげ、嵐に備えた。台風の季節である。なまあたたかい湿った風が吹き、嵐になる予感が した。
伊藤校長は何度も校庭に出た。空を見上げ、雲の流れを見て考えた。子ども達の下校する直前に決心した。「明日二十八日は臨時休校にする」と。早速、先生方を職員室に集めた。
「先生方、明日は台風が上陸しそうです。大雨と強風が予想されます。清水川(しみずかわ)も増水するでしょう。子ども達の登下校が危険ですので、明日は臨時(りんじ)休校とします。子ども達には、川や海に近づかないように指導してください」
口早に説明した

明日は臨時休業
教室にもどった先生方は子ども達に言った。
「これから大事なことを話しますので、よく聞いてください」
子ども達は何ごとだろう、と姿勢を正して先生を見つめた。
「明日は大嵐になりそうです。それで学校をお休みにします・・・」
少しざわついたが、すぐに
「はーい。わかりました」と、声をそろえて答えた。
「学校が休みになる」、現代の子ども達なら「やったー」と、歓声をあげるだろうが、明治の子ども達は臨時休校になるからといって喜びはしなかった。反対に残念そうな表情をした。なぜなら子どもといえども一家の担い手となって働き、学校に来ることができない子どもが多かったからだ。学校に来て勉強することは子どもたちには楽しいことであった。そのため臨時休校になったことは子どもたちにとって残念なことだった。
大アワビが怒ったんだろう
夜になって風が強まり網代湾(あじろわん)の波が高くなった。人々は
「沖の大アワビにタコでも触れたんだろう。それで嵐になったんだ」「ああ、御宿の海の主、大アワビがおこったん だろうか。そのうちにきげんをなおすだろうよ・・・」
と、暴風雨になるのは御宿の浜に伝わる「大アワビの伝説」のせいだろうと冗談を言い、台風は秋の行事と笑い飛ばした。「夏の間アワビやサザエをとり、働きづくめだったので、神さまがしばらく休めと言っているのだろうよ」
と、持ち前の楽天的な考えで暴風雨が過ぎ去るのを待った。自然の猛威の前には人々はなす術を持たなかった。

校舎倒壊
九月二十八日、伊藤校長は雨戸をたたく風雨で目覚めた。
(臨時休校にしてよかった)と思いながら風雨の中を学校へ向かった。
午前十時ころになると風はますます激しくなった。鰹節やイワシを乾す作業場が倒れ、海辺に面した古木の松も根こそぎ倒れ、住居までもが倒壊した。
三棟の校舎のうち二棟の校舎の屋根が吹きとばされたかとおもうと、職員室の板戸をも吹き飛ばされた。机の上の書類が飛んだ。本箱が倒れ教科書や指導書も散乱した。ピュウ ピュウ ピュウ・・・風のうなりと共にミキミキ、ミキミキ・・・不気味な音がした。「逃げろ、逃げろ」伊藤校長の声で職員は外に飛び出した。教科書を持って出ようとした教員もいたが、飛び出すことで精いっぱいであった。伊藤は御真影をかかえて飛び出した。外に出た瞬間、校舎がつぶれた。子どもの習字や絵画の作品が吹き飛び、板や戸が飛んだ。教科書を拾い集めようと追いかけたがまにあわなかった。

臨時教場八カ所
村のシンボルとして大事にしてきた小学校校舎が倒壊(とうかい)したのだ。「明日からどうするんだ」「子どもたちはどこで勉強するのだ」・・・倒壊した無残な校舎をながめて子どもも職員も、村民も嘆き悲しんだ。
しかし、すぐに「自然の猛威(もうい)にはかなわない。これは天災だ」「幸い子どもたちは無事だ。勉強ができる所をさがそう」「校舎倒壊は悲しいが、また建設すればいい。今はとりあえず、子どもたちに教育を保障してやることが先・・・」子どもたちの仮の勉強場所をさがそうと、あちらこちらと交渉した。

なかなか引き受けてくれる所はなかった。しかし、交渉の末、寺など八カ所が仮校舎として確保できた。観音寺(かんのんじ)、妙音寺(みようおんじ)、最明寺(さいみようじ)、妙昌寺(みようしようじ)、久保勘定所(くぼかんじようしよ)、養生院跡(ようじよういんあと)、八左衛門方(やざえもんかた)、十王堂(じゆうおうどう)の八カ所だ。

児童心得
学校を離れて、寺など仮りの教場を使わせてもらうことはうれしいと同時に心配なことでもあった。子どもたちが施設をていねいに使用できるだろうか、家主や住民に迷惑をかけないか、ケガはしないだろうか心配はつきなかった。
そこで伊藤は
「すべて、見知りたる人に会わば、礼をすることを忘れてはならぬ、また途中は歳長たる者は、歳のゆかぬものを守り、男も、女も、互いに、あい愛し、あい親しむが、なにより肝要であります。仮校舎として、借り入れた、汚したり傷をつけたりしてはい  けませぬ。どの校舎も、先生のお許し無く、出ては、なりませぬ、また遊戯も、遊圃場に、似合いたる遊戯のほかはできませぬ」
と告示をだした。

学校再建(さいけん)に奔走(ほんそう)
新しい校舎を造るには資金が必要だ。県と国から支援を もらわなくてはならない。伊藤はさっそく郡役所にお願い に行った。
「お願いします。すぐにでも校舎の再建をお願いします。 子どもたちは地域の宝です。未来の御宿村を、いや日本の 国を背負って立つ子どもたちに教育をほどこすのは地域の つとめです。再建をお願いします」
「わかりました。早速、県に交渉し、お願いしますので、 しばらく待ってください」
「お願いします・・・」
何度も何度も頭を下げた。「県に交渉しましょう」という、
郡役人のことばに伊藤は安堵した。

仮の教場八カ所
伊藤は、八か所に分散して学ぶ子どもや指導する教師を毎日見回った。子どもたちは巡視する伊藤校長を見ると訴えた。
「校長先生、いつ新しい校舎が建つんですか」
「前のようにみんなといっしょに勉強したい」
「お役所にお願いしてあるので間もなく、新しい校舎が建  ちますよ。一生懸命勉強してください」
と答えた。一カ月が過ぎた。郡役所からは何の返答もなった。郡役所に行ってその後の経過をたずねた。
「その後、県からの返事はありませんか」
「どうもこのご時世では教育予算にあてる資金(しきん)はきびしいようだ。なんせ戦争が・・・」
当時日本は朝鮮・満州での利権をめぐりあの大きな国、ロシアとの戦争に入ろうとしていたのだ。何よりも戦争が優  先されたのだ。伊藤は村田啓次郎村長(そんちよう)といくども話し合った。

日掛け五厘の貯金開始
校舎が倒壊して五年が過ぎていた。伊藤は「新しい校舎を建てる」という子どもたちとの約束が気にかかっていた。
「校長としてしなければならないことは・・・」と考えると、村役場や県や国に「校舎新築をお願いすることだ」と、いく度も役所を訪ねて新校舎建築を願い出た。しかし返事はいつも同じだった。「今のご時世を考えてください。とても無理です。ロシアとの戦争が終われば・・・」村役場 を訪ね村田啓次郎村長と相談した。村も当然予算はない。伊藤校長は万事窮した。
明治四十年五月、とうとう決心した。「村長さん、とにかく行動に移しましょう」「小学校再建のために村内全戸で五厘の寄付を募ろう」と提案した。
今日も使われている隣組制度が全戸五厘貯金の時の組み 分けである。

校舎建築費は公費だろう
初めての試みは、何ごとも不平不満がつきものである。
「五厘とはいえ毎日となると大金だ。学校建築は県や国の仕事だ。何で俺らが金を出さなくてはなんねんだ」
「忙しいのに各戸をまわって集金なんて・・・」
と消極的な区長や村民も少なくなかった。
「村の発展は教育だ。村の将来をになう子供たちに教育を施さなければならない。それには一日も早く校舎を再建することです」
「国や県を頼っていたんではいつ学校が建つかわかりません。村民が金を出し合い学校を建てましょう」
伊藤校長は村の区長や組長、村民に説いてまわった。不平不満を言っていた者たちも真剣に話す村長と伊藤のことばに心をうたれた。
「そうか、読み書きそろばんができなくちゃ困るからなー。  子どものために協力しようではないか」
「江戸の昔じゃあるまいし、寺で勉強じゃ子どもがかわいそうだ・・・」
やがて村民は理解を示し、協力するようになっていった。

校舎建築開始
建築資金のめどが立った、明治四十三年、伊藤校長は郡役所を通して県に御宿小学校新築申請書を提出した。そして九月十五日建築を認める「許可書」が届いた。伊藤はう
れしさと同時に資金が予定通り集まるだろうか心配でもあった。学校再建にはまだまだ足りない金額であった。「一日でも早く子どもたちに正常な教育を受けさせたい」校舎
壊滅から十年近くが経ち、村人の生活も安定してきた。村人の中からは「五厘ではなく、一銭に値上げしよう」「早・校く校舎を新築しよう」という気運が高まってきた。

寄付者も出てくる
さらに村民の熱意が町の実力者や資産家の心を動かした。
「子どものため、村のため、一日でも早く新しい校舎を建設するよう、建設資金を寄付しよう」
「おれの力が村の役に立つのはうれしいことよ」
積み立て以外の寄付金が寄せられるようになった。この特別寄付が八,三六九円七一銭五厘。また町費から約五,一五〇円が加えられた。これらの金を合計すると二万八五〇
〇円余となった。
明治四十五年四月校舎工事が始まった。

新校舎完成・「五厘も積もれば校舎になる」
そして大正三年七月、子どもたちや町民が待ち望んだ新しい校舎が完成した。瓦屋根の平屋建て。南側は窓ガラスが整然と並び、窓の下に換気口の備わった近代的な校舎で
あった。
「伊藤さんやりましたね。とうとうできあがりました」
「これで、また子どもたちが安心して勉強できます」
「みんなで協力すると、学校が建つんですね」
「塵も積もれば山となるですね」
「塵じゃない、五厘も積もれば校舎になるだろう」
「ハハハハ・・・・」みんな心から喜んだ。
新しい木の香り、ガラス窓から射しこむ光に教室が輝いていた。初めて校舎(こうしや)に入った子供たちは歓声をあげた。
「いい香り」
「わあー、広い教室」

黒田善治(くろだよしはる)と五倫黌(ごりんこう)
ある日、御宿小学校で佐倉連隊の簡閲点呼式(かんえつてんこしき)が行われた。
点呼が終わって校長室で休憩した黒田善治少将が新装となった小学校を見学された。
「日露戦争で財政難の時代に、このような立派な校舎を建設されるとは、さぞ大変だったでしょう・・・」
「はい。町の人たちは子どもの教育について理解があります。この校舎は町民が一日五厘ずつ集めて建てたものです」
「ええっ、町民の貯金でですか。国や県からの補助は・」
「はい、ご存知のようにこのご時世でございます。小学校の建設費には一銭もまわってきません・・・。そこで町民が日がけをしたのです」
「町民のヒガケ?」
「はい、町民の日掛けです。一日五厘ずつ集めたのです」
「五厘では、なかなか大変でしょう・・・」
「はい、九年間にわたって全戸から毎日集め貯金しました」
「この厳しい財政難の時代、国にも県にも村の財政にもたよらず自分たちで一日五厘の日がけ貯金で学校を建設されたとは・・・」
「村人が協力してくれました。一軒の脱落もなく全戸が協力してくれました。・・・途中からは二倍の一銭に値上げしました。教育に対する町民の熱意がこの校舎を建てたの
です」
伊藤は町民の教育に対する熱い思いを黒田に語った。
「そうですか。日掛けの五厘は、人が共同生活をするのに大事な『五倫』につながります。何と立派な町民だろう。
それを指導した伊藤校長先生の思いと実行力には頭がさが
ります。今日は素晴らしい話に心が洗われました」
黒田は目をうるませていた。

五倫黌の扁額(へんがく)
それから数日後、黒田が大きな風呂敷包みを持って御宿小学校を再び訪れた。「校長さん、先日は素晴らしいお話ありがとうございました。これをもらってもらえますか」
風呂敷を開くと木の香が漂ってきた。厚い大きな板に「五倫黌」と彫られた扁額である。茶褐色に塗られた板に金色に塗られた五倫黌の文字。
「これは」
「はい。先日の一日五厘の学校建設の話、とても感激しま した。先日も申しましたように五厘は「五倫」に通じます。この小学校はまさに「ごりんこう」です。そこで「五倫黌」の扁額を造ってみました。どうか受け取ってください」
「このような立派な扁額を寄贈してくださり、ありがとうございます。校舎に掲げ、子どもたちやわれわれ教師の心の支えにしたいと思います。ほんとうにすばらしい物をありがとうございます」
伊藤校長は何度も頭を下げて礼を述べた。

五倫とはどんな意味
五倫とは中国に伝わる「孟子(もうし)」という本による。
「(父子(ふし)には親(しん)あり)親子は仲よくしなければなりません」「君臣(くんしん)には義(ぎ)あり)人は主人にしたがわなければなりません」
「君臣(くんしん)には義(ぎ)あり)人は主人にしたがわなければなりません」
「(夫婦(ふうふ)には全(ぜん)あり)男には男の、女には仕事があります」
「(長幼(ちようよう)には序(じよ)あり)年上の人を大切にし、言うことをきかなければなりません」
「(朋友(ほうゆう)には信(しん)あり)友達と仲良くし互いに信頼しなければなりません」
また、「人倫五条」といい
「仁(じん)・すべてを愛する思いやりの心」
「義(ぎ)・正しい行い。人や社会のためにつくす心」
「礼(れい)・決まりをまもる心。感謝をあらわす心」
「知(ち)・勉強にはげみ、善悪をみわける心」
・伊「信(しん)・約束を守り、人を信ずる心」
藤鬼という意味もある。
一郎 五倫黌の扁額は、現在校長室にかかげられている。廊下 像には伊藤校長の写真が掲げられている。「児童委員会」は「五倫委員会」とよばれ、今もなお伊藤鬼一郎校長の偉大さと五倫の心が御宿小学校に受け継がれている。

(齊藤 弥四郎 著)

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