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房総の偉人

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潜水夫 丹所春太郎

勝浦市の昔ばなし

勝浦市の川津(かわづ)という地区に津慶寺(しんけいじ)という古いお寺があります。
その一角に小高い丘があり、川津の港が一望に望めます。そこに、
港を見守るかのように潜水夫(せんすいふ)の像が建てられています。
これは丹所春太郎(たんどころはるたろう)さんの像で、川津の漁民のために尽くした
人だそうです。

1
丹所春太郎(たんどころはるたろう)さんは、明治三十年,遠州(えんしゅう)(静岡県)から川津に移り住んだ潜水夫です。今とは比べものにならないくらい重い潜水服を着て海に潜(もぐ)り、アワビやサザエを捕っていました。そのころの川津の海はとても豊かで、たくさんのアワビやサザエが捕れました。春から夏にかけて海がなぎた日、潜水夫は海に潜(もぐ)ります。深い所に潜れば潜るほど、たくさんのサザエやアワビが捕れました。

2
ある夏の日、春太郎さんはいつものように港へ出かけました。
「今日もいい凪(なぎ)だ。頑張るぞ。みんな船に乗ったか。」
と張り切っています。船には潜水夫の他に舵子(かじこ)といって、船の舵(かじ)を取りながら、潜水夫の命綱をあずかる者も乗り込みます。春太郎さんが舵子の源兵衛(げんべえ)と支度をしていると、潜水夫達の騒ぐ声が聞こえてきました。
「大変だ、おらが作治が。」
「みんな、手を貸せ。」
春太郎さんも港へかけつけました。
「またしても潜水病か。」
若い潜水夫達は、口々に言います。
「おんだらあ、こんままじゃ潜れねえ。」
「アワビと命のとっかえっこだっぺ。おっかねえ。」
潜水夫の間で、この病気はとても恐れられていました。当時、潜水病にかかるとまったくその治療法はなく、半数近くは命を落とし、生き残ったとしても、手足が麻痺して動かなくなり二度と潜水夫として働くことができない体になってしまうのです。そうなると、一家を支える者のいなくなった家では、大変な苦労をして生活していかなければならなかったのです。
そうした悲惨な状況を目の当たりにした丹所春太郎(たんどころはるたろう)さんは、
「何とかこの病気を治す方法はないのか。このままでは潜水夫は深い海に潜れなくなってしまう。潜水夫である私が、この病気を治す方法を必ず開発してみせる。」
と、心に誓い研究に没頭していったのです。
研究と言っても、春太郎さんにとっては初めてのこと。医学書や生物学の本を読むなど、一つ一つが初めてのことでした。しかし、なかなか解決の糸口さえも見つからず、
「だめだ、私なんかには無理なんだ。」
と悩み、苦しむこともありました。
しかし、苦しんでいる潜水夫仲間を思うと、
「こんなことで、くじけていてはだめだ。」
と自分を奮い立たせるのでした。
ある日、春太郎さんは、
「そうだ、学問も大事だが、私には潜水夫としての経験がある。この経験を生かしてみよう。」
と思い立ちました。
「私は、長年潜っているが潜水病にはならなかった。潜水病にかかった者と、潜り方に違いがあるのかも知れない。」
そして、自ら海に潜って試したり、潜水病にかかった人から話を聞いたりもしました。その結果、海面に上がってくる速度が関係していることに気づきました。

3
しかし、それだけではまだ不十分でした。
「速度の他に何かが関係しているはずだ。」
悩みながら港を歩いていると、漁師が魚を水揚げしていました。
「春太郎さん、研究ご苦労さん。今日はアコウダイが上がったから 持っていってくんな。」
「ありがとう。いただくよ。」
アコウダイを受け取った春太郎さんは、はっとしました。
「この魚は、目が飛び出している。こっちは目が飛び出していない。深海にいる魚が釣りあげられる時に、何かが起きるんだ。これだ。」
春太郎さんは、夢中で調べました。
そして水圧と水面に出てくる時の速度の関係に気が付いたのです。獲物を求めて、深く潜れば潜るほど,水圧が潜水夫をおそいます。この水圧が,潜水病(せんすいびょう)という恐ろしい病気を引き起こすのです。海の底深く潜った潜水夫が海から急に上がろうとすると、水圧のかかったところから酸素がどんどん、どんどんぬけてしまうのです。春太郎さんは、自ら何度も何度も潜り水圧と戦いました。
そして、ついに発見したのです。潜水病を防ぐには、急に浮上せずゆっくりと螺旋を描くようにぐるぐる回りながら浮上する方法が最も安全だと言うことに気づきました。また、潜水病にかかってしまった人もすぐに海に入りゆっくり螺旋を描きながら回ることで治すこともわかりました。これは「ふかせ療法」と名づけられました。
丹所春太郎(たんどころはるたろう)さんのふかせ療法は,日本全国に普及し多くの人の命を救いました。なんと、この療法が開発されるのに八年もの年月が費やされていたのです。

4
その六年後、春太郎さんは亡くなりました。夷隅潜水夫組合は、彼の偉大な業績をたたえ、記念像を建てたのです。さらに、みんなでお金を出し合い、水圧を調整し潜水病を治療する釜を塩田病院におきました。以来、潜水夫達は安心して潜れるようになったということです。現代の医学的療法の普及にもかかわらず、緊急な場合、このふかせ療法は今なお多くの潜水夫の信頼を得、使われています。
おしまい
(齊藤 弥四郎 編纂)

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