国道一二八号線を南下し、御宿町と勝浦市の境「魚見(うおみ)トンネル」をぬけると、左手に大海原が広がります。最近はサーフィンのメッカとして、季節を問わず若者でにぎわっています。
このあたりの地名を「部原」といいます。この地名には、次のようなお話が語り伝えられています。
1
むかし、むかし、遠い昔のことです。
日本の国がまだ小さな国にわかれて、戦をしていたころのことです。大和朝廷は東の国々に戦をやめさせるため、武勇にすぐれた日本武尊をつかわせました。
ちょうど、日本武尊がこの地にさしかかると、村人が集まって泣いていました。
「どうしたのだ。なぜ、そのように泣いているのだ」
わけをたずねますと
「大蛇が、きょうの夕方、村の娘を連れて行くのです」
「なぜ、大蛇が娘を・・・」
「この山奥にすむ大蛇が、毎年秋になると、村一番の美しい娘を貢(みつ)ぎものとしてさしだすようにと、無理難題を言うのです・・それで村中の者がこうして泣いているのです」
「なに、大蛇が娘をさらって行くともうすか」
「さようでございます」
村長は涙ながらにうったえます。かわいそうに思った日本武尊は
「それはきのどくだ。その大蛇はどのようなものだ。わしが退治してやろう」
と、言いました。すると村長は
「とんでもありません、やめてください。もし娘をさしださなければ大蛇があばれ、村人全員が殺されます」
と、日本武尊の申し出を断わりました。
「そんなにおそろしいのか」
「は、はい。それはそれは恐ろしい大蛇でございます。・・・。長さは、この砂浜の長さほどあります」
と、浜辺を指さしました。
「頭はあの山ほどもあるでしょう・・・。目は真っ赤にかがやき、ペロペロだす舌は炎のようです・・・」
と、大蛇のおそろしさを話しました。
「そうか・・・」
腕を組んで考えこむ日本武尊でした。
「とりあえず、その大蛇を一目見てみよう」
と、タ方までここにとどまることにしました。
2
日がしずむと、村の衆は娘を一人おき、泣き泣き家にもどりました。日本武尊は松の木陰で蛇があらわれるのを、今か今かと待ちかまえていました。西の空が真赤に染まり、大海原の寄せては返す波の音だけがあたりをつつみました。
突然、
ドドド・・・ドドド・・・
という地響きが起こりました。
そしてつぎの瞬間、山のいただきから赤い目をかがやかせ、炎のような舌を
ペロペロさせて大蛇が姿をあらわしました。頭をもちあげ、右に左に、上に下に、娘を
さがします。
やがて娘を見つけると、顔をスーッと娘の所に近づけました。これを見た日本武尊は、太刀を抜くと
「待てー。わしが成敗する」
と、大蛇に切りかかりました。
「わしに手向かいするのか。そりゃおもしろい」
大蛇は舌をペロペロさせます。大蛇と日本武尊の激しい戦いが続きました。あたりは地震でも起きたかのようにゆれ、凪いでいた海は嵐のように波だっています。大蛇は日本武尊をのみこもうと舌をペロペロさせます。しかし、日本武尊はヒラリヒラリと身をかわし、大蛇の体に飛びのって太刀で胴体や目をつきさします。血がドッと出て、山や海はまっかにそまりました。
・・・・
とうとう大蛇が山から海にかけてドッとくずれおちました。
「やったあ。大蛇がたおれたぞー」
「娘が助かったぞー」
村人は家々から飛び出してきて喜び合いました。そうして日本武尊一行を厚くもてなしました。
その後、だれ言うともなく、この地を「蛇(へび)原(はら)」と呼ぶようになりました。しかしいつしか大蛇と日本武尊が戦った戦場であったことは忘れられ、たんに「部原(へばら)」とよばれるようになりました。
おしまい
(齊藤 弥四郎 著)