• 楽しい話
  • あたたかい話
  • 悲しい話
  • 怠け者の話
  • 欲ばり者の話
  • 呆れた話
  • 怖い話
  • キツネやムジナの話
  • お化けの話
  • 神様・仏様の話
  • 不思議な話
  • 災いの話
  • 地名の話
  • 戦(いくさ)の話
  • 房総の偉人
  • 房総の史実

房総の史実

房総の史実

万木の『お福』

いすみ市の昔ばなし

夷隅町万木(まんぎ)には

万木(まんぎ)お福(ふく)が通るげで
五百雪駄(ごひゃくせった)の音がする

《通釈》 万木(まんぎ)に住んでいる『お福(ふく)』という美しい女が通るので、お福(ふく)に一目ぼれしたおおぜいの男たちが『お福(ふく)』の後を、ぞうりの音をたてながら追いかけて行くことよ。
という歌が伝えられています。この歌には、こんなお話が語り伝えられています。

1
むかしむかし、今から四百年ほどのむかしのことです。万木(まんぎ)の山の頂きには城がそびえ、山のふもとは城下街としてにぎわっていました。美しい絹の着物を売る店、刀や鎧(よろい)を作り商う店、近くの農家で作った農作物を売る店、この城下の人達の腹を満たす食堂、旅の人を泊める旅館・・・・そして、夜になると武士や商人や旅人でにぎわう飲み屋など、それはそれはにぎやかな街でした。
この城下街を囲んで、周りには田畑が広がり、田畑のあちこちに林が繁っていました。林の中には、かやぶきの農家が点在していました。この農家に『お福(ふく)』という美しい娘がいました。農家に生まれたので、小さいころから田畑に出て家業を手伝いました。しかし、いっしょうけんめい働いても収入が少なく、生活も楽にならない父母の生活を見てきて、いつのころからか農業をきらうようになってきました。田や畑に出ても、クワをほうりだしてボーと遠い空ばかりながめていました。
お福(ふく)のこんな姿を見て
「お福(ふく)、もう少ししっかり働け。そうでなければ、嫁さんにもらってもらえねえぞ。」
と、お父さんもお母さんも注意していました。
「おら、百姓はいやだ。朝は早いし、夕方は暗くなるまで働いても・・・貧しい生活。・・・おまけに毎日毎日、土にまみれて真っ黒になって働くばかり・・・」
「おら、百姓やめて鎌倉(かまくら)に行って働くだ。」
「ばかいえ。おめえいみていな田舎者が鎌倉(かまくら)に行って何できる。」
「女の幸せは、じょううぶな働き者の男にもらってもらうことだ。」
「それにはな、お福(ふく)は働き者だ。と世間さまからいわれるように一生懸命働くことだ。・・・それをなんだ、毎日毎日、働かねえで・・・ボーとしていて」
こんな、親子(おやこ)の会話が日に日に増えてきました。

2
やがて、お福(ふく)は(お父もお母もわかってくれない。鎌倉(かまくら)に出るには、家出しかない)と、思うようになっていました。ある夏の夜にこっそり家を抜け出して、鎌倉(かまくら)に向かいました。お福(ふく)、十九歳のことでした。
鎌倉(かまくら)についたたお福(ふく)は、働く所をもとめてあちこちさまよいますが、素性がわからないので、どこもやとってくれません。鎌倉(かまくら)の街をふらふらしていますと、やさしそうな男が話しかけてきました。
「おねえちゃん、おねえちゃんどうしたんだね。こまっているよだが」
「・・・・」
「鎌倉(かまくら)ははじめてだね。どこに行くのかね」
「・・・・」
「ははあ、働くとこ、さがしているのかね」
「・・・うん・・・」
「働くところか。じゃあ、いいところがあるよ。きれいなねえちゃんだからぴったりだよ」
「・・・・・」
「さあ、ついてきな・・・」
「・・・・」
見しらぬ男、こわい気持ちもありましたが、金もありません。男について行きました。着いた所はとよばれる男たちの遊び場でした。美しい着物を身につけ、お白いをぬった女達が昼まから男の人を相手に酒(さけ)をくみかわしています。酒(さけ)のにおい、けしょうのにおい、たばこのにおい、思わずお福(ふく)はにげ出そうとしました。すると、人相の悪い男たちにたちまちとりかこまれてしまいました。そうして、むりやりに働かされたのです。

3
はなやかな鎌倉(かまくら)の生活にもなれてきました。しかし長くは続きません。三年、四年がすぎると、ふるさと万木(まんぎ)の山にそびえるお城、緑の田や畑、夷隅川の清い流れ、優しいお父さんお母さんを思い出すのです。
とうとう、お福(ふく)二十三歳のとき、ふるさと万木(まんぎ)に帰って来ました。
鎌倉(かまくら)でのはなやかな生活がすっかり身についてしまい、ふるさとに帰ったからといって百姓仕事は、もうできません。万木(まんぎ)城下の飲み屋さんで働くことになりました。
鎌倉(かまくら)で生活してきたお福(ふく)です。着物も、話すことばも、お酌するふるまいも、・・・すべてあかぬけています。着物にしのばせたにおい袋も、ひときわいいにおいをさせていました。おかげで飲み屋に来る客は、すっかりお福(ふく)のとりこになってしまいました。毎夜毎夜、おおぜいの男たちがやってきました。男たちは雪駄(せった)とよぶぞうりをはいて、上等な羽おりを身につけ、髪(かみ)を念いりにとかしてやってきました。それで、この飲み屋はたいへんはんじょうしました。
お福(ふく)の美しさと飲み屋のはんじょうぶりはたちまち城下に広まりました。これを見て、なかば軽べつをこめ、なかばせん望の気持ちで

万木(まんぎ)お福(ふく)女が通るげで
五百雪駄の音がする
万木(まんぎ)お福(ふく)女が通るげで
五百雪駄の音がする

と、歌うようになりました。
お福(ふく)の美しさは城下だけでなく、近隣の村にも知れわたり、たくさんの男たちが万木(まんぎ)城下にやってきてにぎわったそうです。
このように万木(まんぎ)城下がかつてにぎわったおもかげは、今はありません。ただ、山の山頂に残る万木(まんぎ)城跡のみが、昔をしのばせてくれるだけです。

おしまい
(齊藤 弥四郎 著)

タグ : 

つか坊と姉ちゃん