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戦(いくさ)の話

戦(いくさ)の話

発坂峠の戦い

いすみ市の昔ばなし

県道大多喜・大原線、佐室地区に『発坂峠』と書かれた史蹟案内板が建てられています。日頃は、見逃してあまり意識することもありません。しかし案内板によって遠いむかし、房総の兵たちが激しい戦をくりひろげたことを知ることができます。この『発坂峠の戦い』は、『房総治乱記(ぼうそうちらんき)』や『房総(ぼうそう)軍(ぐん)記(き)』にも語られています。

1
むかしむかし、今から約四百年ほど前のことです。
この辺り一帯は、万木(まんぎ)の土岐(とき)氏と安房の里見(さとみ)氏が大きな勢力を誇っていました。そのため土岐(とき)方と里見(さとみ)方は、しばしば小さな争いをくりかえしていました。
天正十七年(一五八九)、里見(さとみ)氏の指揮下に有った長南(ちょうなん)城(現長南(ちょうなん)町)が土岐(とき)氏に攻められ大敗しました。この知らせは、すぐに安房城主里見(さとみ)義頼(よしより)に伝わりました。知らせを聞いた義頼(よしより)は、激怒しました。
「ええー、土岐(とき)は親子(おやこ)二代にわたって我が里見(さとみ)家にそむいて・・・・・万木(まんぎ)城に一気に攻め入って、降参させねばならぬ・・・」
万木(まんぎ)城攻略の命を受けた安西遠江守、山川豊前守は、総勢二百五十騎を率いて、安房国から上総(かずさ)の国に向かいました。里見(さとみ)軍が攻めてきたことを聞いた、万木(まんぎ)城主土岐(とき)頼春は
「敵がせめて来るというのに、城で待っているとは不本意なり。ええー、途中で里見(さとみ)軍をむかえ、一戦まじえようぞ」
「里見(さとみ)の兵など朝飯前にやっつけてやるぞ」
六百騎を率いて、保坂峠に向かい、陣をひきました。

2
一方、土岐(とき)軍が城を出たことを聞いた里見(さとみ)勢は
「城を出るとは願ってもないことだ・・・。土岐(とき)勢の後部を断ち切って、前後よりはさみうちにしようぞ」
と、三百騎をひそかに久保(くぼ)村(現御宿町久保(くぼ))に回しました。
これを近くの百姓たちがみつけて、久保(くぼ)坂峠に陣を構える土岐(とき)軍に知らせました。これを聞いた土岐(とき)頼春は
「みなの者よく聞け。これよりこの陣をひきはらい、発坂峠に向かう。そこにて里見(さとみ)勢をむかえうつ・・・・・」
と、久保(くぼ)坂峠の陣をひきはらいました。

3
里見(さとみ)軍は、そうとは知らず、夜明けとともに久保(くぼ)坂峠に向かいました。土岐軍の姿は見えません。
「さては土岐(とき)軍、里見(さとみ)軍がこわくなって逃げ出しおったか・・・・。追いうちして、一気にせめつぶしてしまえー」
と、万木(まんぎ)城を目指して、進撃しました。
里見(さとみ)勢がちょうど、発坂峠にさしかかたときです。峠の頂に『桔梗(ききょう)の紋』を描いた土岐(とき)方の旗が、林立しているではありませんか。里見(さとみ)勢は、動転して立ち止まりました。しかし、ややしばらくあって
「ものども進め。ひるまず、一気にかけのぼれー。」
安西遠江守の号令が、かかりました。そうすると
ウオー ウオー・・・
ウオー ウオー・・・
と、いうかけ声とともに、太刀を抜いて、峠道をかけ登ります。しかし、峠からふってくる弓矢に、あたりは血の海。草のにおいのただよってっていた峠道は、またたくく間に血のにおいにかわってしまいました。
やがて、里見(さとみ)勢は力つき、退散してゆきました。
この時の戦士者、万木(まんぎ)勢死者十六人、里見(さとみ)勢百八十人といわれています。

里見(さとみ)軍の折れた弓や太刀をうめた所が、『弓折塚』と呼ばれています。また『矢玉』『矢中』などの地名も、近くに残っています。峠には、土岐(とき)の紋『桔梗』の旗を立てたといわれる、『旗立山』という地名も今に伝えられています。

おしまい
(齊藤 弥四郎 著)

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